2009年08月の日記

今日の八島湿原の花・アサマフウロウ(浅間風露)
 山地の湿地などで希に見られる多年草で、草丈は20cm前後、小群生である場合が多いのです。フウロウソウの仲間では花弁も大きく、紅紫色で濃い色の脈が目立ち、フウロウソウ科の中でも、最も鮮やかな色合いの花を咲かせます。目立ちたがり屋のフウロウのあだ名があるぐらいです。雄しべが黒っぽいのが特徴です。浅間山麓に多いことから、「浅間風露」その名の由来になりました。
 八島湿原の木道沿いに、今盛んに咲いていますが、数は少ないのですが、鮮やかな色合いですから、印象には残ります。車山、霧ヶ峰でもフウロウソウ科は種類が多いです。花期が長いハクサンフウロウ(白山風露)はフウロウソウ科フウロウソウ属ですが、園芸種でよく見るゼラニウムもフウロウソウ科べラルゴニウム属ですから、よく見ると花形は似ています。

http://www7.ocn.ne.jp/~rare1/index.htm
(2009.8.31[Mon])

今日の車山湿原の花・コウリンカ
キク科の多年草で和名では、紅輪花と書きます。濃赤橙(せきとう)色の舌状花が輪状についていることに由来します。色茎は直立し、高さ50〜60cm、開花は8〜9月、茎頂に6〜13個の頭花をやや散房状につけます。その舌状花は径3、4cmで、下方に垂れているのが特徴です。あたかも花の終わりに近い状態に見えてしまいます。事実、初めてコウリンカを見た時、もっと綺麗な花がないか探し回ってしまいました。絶滅危惧種ですから、なかなか美しい容姿の頃の出合とはなりませんが、今回は沢渡から車山湿原へ抜けるミズナラの林間で見かけました。一際目立つ色彩を放っています。
 通常、日当りのよい山地のやや湿った草原に生え、九州北部から朝鮮半島、中国東北部、東シベリアに分布しているそうです。
  諏訪地方では、盆花の一つです。
2009.8.30[Sun]

車山の夕顔料理
 夕顔は,インド・北アフリカを原産地とするウリ科のつる性1年草です。夕顔の実は、大きいもので高さ35〜40cm、重さ7〜8kgですが、更にそれを超える物もあります。いずれにしても、大きな果実が特徴です。同じく大きな実を実らせるウリ科の植物に瓢箪があります。夕顔とは同一種であり、夕顔がインドに伝わって栽培されるうち、苦味の少ない品種が食用のものとして分化、選別されたと考えられています。
 古事記にも記載があるようで、日本への伝来は古く、ただ、夕顔の実が野菜として、よく食べられるようになったのは、苦味の少ない「丸夕顔」が伝えられてからとされています。
 実は食用のほか容器としても用いられ、丸夕顔の実を細長い帯状に剥いて加工したものが干瓢で、ご存知のように、巻き寿司や汁物などに使われます。なぜ干瓢というかというと、夕顔の実は「ふくべ」(瓢)と呼ばれ、それを干したものだからです。干瓢の産地として有名なのは、栃木県と滋賀県です。
 沖縄で野菜として食されるのは、長夕顔で、若実のうちに食します。チブル(頭の意)と呼ばれ、干瓢にするよりも冬瓜と同じように煮物、汁物、炒め物、または生のまま胡麻和えなどにして食べるほうが一般的です。細く切り、しばらく塩水に晒して置き、海苔、鰹節、刻みネギなどを振り、ポン酢で食べれば、季節を味わう最高の料理となります。

夕顔の和風餡かけ  【作り方】
皮は厚いので、厚めに剥きますが、種を取り除けばわたも食べられます。荒く刻んで、シチューにすると、その味になじんで美味しくなります。本来、夕顔の実自体には、余り味はありません。ただ、濃くのある汁に入れて、とろ火でよく煮ると、実と汁双方に、微妙な深みのある味わいが生れます。
 1.夕顔は5cm幅で4画く切り、昆布と荒塩で茹でて置く。
 2.鍋にだし汁を加え1の夕顔を入れて、昆布茶で煮る。
 3.鳥挽肉をよく炒め上げ、ブイヨンを加えて煮て、薄口醤油と味醂で味を整える。       
 4.水溶き片栗粉でとろみをつけ、よく煮上げる。
 5.3の夕顔を器に盛り、4の汁をかけ、木の芽を天盛りにする。

夕顔と豚の角煮 【作り方】
 1)夕顔は6cm位の輪切りにし、皮をむき、種わたを取り除きます。
 2)1を2cmくらいの幅に切る。
 3)豚のバラ肉を4cm角にし、酒に浸し薄口醤油を振って10分以上置く。
 4)だし汁に3)を入れ、しょうが、青ネギのそつと一緒に火にかけ、煮立ったら弱火にして20分以上、ゆっくりと煮る。湯面に浮かぶ灰汁と油はこまめに取り除く。
 5)軟らかく煮えたら塩、薄口醤油、みりんを加え、更に煮る。
 6)2)の夕顔を加える。10分位煮立ちしたら、もう一度、塩、荒塩、砂糖で味を調え一煮立ちする。

 夕顔は初夏に白い花が咲きます。その名称は、夕方に咲き、朝にはしぼんでしまうところに由来しています。平安時代頃には既に栽培されていて、枕草子や源氏物語の中にも登場しています。
2009.8.29[Sat]

蕎麦はまだ  花でもてなす  信濃路
 蕎麦はまだ  花でもてなす  山路かな   松尾 芭蕉
 信濃では  月と仏と  おらが蕎麦    小林一茶
 9月・長月、月が美しいこの季節、秋の収穫期を間近に控えた蕎麦畑では、おびただしい数の白い花の群落を、信州の山路で見ることができます。

 成熟の時期を目前にして、心密かに豊作を祈念して、江戸時代の中期に活躍した俳人・松岡清蘿は、蕎麦の白い花を見て詠みます。

 月を実に むすびやすらん 蕎麦の花

 月光を浴びて点々と広がる蕎麦の畑を眺めていると、まるで月の光を吸って実ったかと思えるようです。
 味が良いとされる秋蕎麦は初霜の頃に収穫されます。収穫時期からおおよそ75日前に種蒔きをし、水はけの良い畑地が適地ですが、水田でも可能です。茅野市の北山地区では、水田栽培が盛んです。日本の農政が混迷しているせいかもしれませんが・・・

 蕎麦はタデ科の一年草で、日本のみならず、アジア内陸地帯、東欧、中欧、北欧、南欧山岳地帯、南北アメリカ他で栽培され、食用とされています。フランスのブルターニュ地方でも、蕎麦粉は日常的に食べられ、ガレットの料理はその代表的なものです。ロシアの蕎麦粉パンケーキと「カーシャ」とよばれる蕎麦がゆ、ポーランドの蕎麦プディングと蕎麦ピロシキなど、近年、料理好きの主婦に人気のレシピです。
 車山の麓、白樺湖を源流とする音無川左岸の柏原や湯川から収穫される蕎麦は、蕎麦切りで有名な戸隠の方でも人気があり、蕎麦粉で、よく使われているようです。
 蓼科山の天祥寺平を源流とする滝の湯川と横谷渓谷を流れる渋川の間、湯川の地籍にある蕎麦工場・渡辺製麺があります。手打ちでは、ありませんが、美味しいのが評判です。一度、是非、試食して下さい。なお、渡辺製麺のめんつゆも美味しいです。
 私も含めて、多くの蕎麦好きは、新蕎麦の季節ともなれば、味はもとより、特に蕎麦の香りを重視します。蕎麦は「蕎麦粉」「つなぎ」「水」で作られます。もちろん、つなぎの入らないものもあります。蕎麦粉とつなぎとして使用する小麦粉などの配合割合に応じて、10割蕎麦(生粉打ち蕎麦)、9割蕎麦、8割蕎麦(28蕎麦)、7割蕎麦、6割蕎麦などと名称が変わります。歴史は古く、うどんや寿司、天麩羅と並ぶ代表的な日本料理です。

 日本における蕎麦の歴史は1万年以上も前にさかのぼりますが、そば切りの歴史はわずか400年です。縄文草創期から江戸時代初期まで、蕎麦は、蕎麦がきや蕎麦焼き餅にして食べられていました。島崎藤村が生まれた中山道馬籠宿では、本陣であった生家でも、朝食は力餅あるいは芋焼き餅といわれた蕎麦焼き餅が、常食であったと島崎藤村はその著『力餅』の中で書いています。この馬籠宿では明治時代まで、また開田村や秋山郷のような山村では、第二次世界大戦後まで蕎麦焼き餅が主食になっていたようです。
 江戸初期、蕎麦切りが普及するとともに、そば食は年越し蕎麦・引越し蕎麦など晴の食とされるようになると、穀物としての蕎麦の地位が高まります。信州蕎麦の名声が江戸をはじめ、全国的に有名になるのは、江戸市中で蕎麦切りが売られた江戸中期以降だそうです。しかし、既に元禄期、江戸では更科蕎麦や更科粉の呼称が使われるようになっています。信州の蕎麦文化が全国的に、認知されていたことになります。
 蕎麦は信州では乗鞍高原の1,650m、チベット高原では4,400mまで作られています。そばの生産限界が人類の生活限界とみられています。野生の蕎麦は、中国の東北地域、青海・チベット高原、内蒙古高原、西南地域などに広く分布しているそうです。現在の主な栽培地は、西北、華北、西南地域などの標高が高く寒い山間部が主で、陝西省では全省で蕎麦を栽培しています。 その呉旗県の蕎麦栽培は600年余りの歴史があり、品質も良いので、「蕎麦の郷」と呼ばれています。「ドゥオ蕎麺」とは、蕎麦切りで、呉旗県でもっとも有名な地方料理となっています。切ったら茹でて、酸味と辛味のあるスープ・酸辣湯(サンラータン)と一緒に食べるそうです。
(2009.8.28[Fri])

8月24日の車山湿原
 車山高原、霧ヶ峰高原を華やかなピンクの色合いで染めていたシモツケソウも大分終わりかけています。ただ車山湿原だけが、未だきれいに群生しています。
 その近くにミゾソバの群落もあって感動しました。溝蕎麦と書きます。ソバの花に似ていること、実がソバに似ていることになどに由来しています。若葉は食用になります。おひたし、汁の実、天ぷらが一般的です。タデ科の50cm前後の目立たない一年草の花ですが、一面薄紅色に展開する光景は、車山湿原なればこその出合いでした。
 ここから西へ向うと沢渡への途中、ミズナラの林の中に、トリカブトがたくさん咲いています。八島湿原にも、男女倉山への途中の高燥な草原・山彦尾根にも多く見られますが、濃紫色のトリカブトの花が一番綺麗に見られるのが、林間の木漏れ日を浴びて、背丈を伸ばし咲き誇るこの場所です。
 そろそろ車山湿原のレンゲツツジが紅葉を始めていました。その遊歩道を挟んだ北側・蝶々深山の方面は、レンゲツツジが殆どない草原です。草丈が2m位の大型のハンゴンソウが2cmほどの黄色い頭花を沢山咲かせ、散房状に広げています。漢字では反魂草と書きます。死者の魂を呼び戻す意味で名付けられたそうです。草姿と葉の具合が、幽霊が手招きをしているように垂れて見えることから連想されたかもしれません。
 春先、若芽の堅そうな葉は取り除き、茎の先の方から、たっぷりのお湯に、ひとつまみの塩を入れて、5分位湯がきます。茹で上がりましたら、下の方から菜の方に向かって皮を剥きますが、細いハンゴンソウは必要ないでしょう。それも好み次第です。灰汁が、かなりきついので、水に浸して灰汁抜きをします。安い豚小間肉を90℃の湯に通したものと一緒に、甘酢味噌を付けながら食べるのが最高に美味しいです。料理の醍醐味がここにあります。野趣あふれる香りが、次第になれるとフキノトウ同様、癖になります。
 「広辞苑」によれば、ハンゴンソウを材料にする「反魂丹」は、食傷、腹痛などの特効薬として、江戸時代富山の薬売りが売り広めたそうです。その時代、芝田町のさかいや長兵衛が売り出した「田町の反魂丹」が有名になったそうです。
(2009.8.27[Thu])

八島湿原のオミナエシ
手に取れば 袖さへにほふ をみなえし この白露に 散らまく惜しも 万葉集

オミナエシは秋の七草の一つです。名前の「オミナ」は「美しい女性」の意味であり、同属のオトコエシに比べて、全草が優しいので女性にたとえたといわれています。漢字では女郎花と書きます。全国の草地や林縁の日当たりのよい場所に生える普通な植物でしたが、近年は少なくなった植物の一つです。
地方によっては盆花(ぼんばな)と称し、盂蘭盆(うらぼん)の時期、ススキに添えて切り花を仏壇や墓に供えられる風習があり、栽培もされています。北海道、本州、四国、九州の丘陵帯から山地帯の草原に生え、東アジアに広く分布しています。
日本最南端の高層湿原である八島湿原でも、約300種類の高山植物と共に自生しています。一周8キロの静かな花野を訪れて下さい。すでに秋の気配を漂わせています。現在、八島湿原周辺では、コオニユリ、ツリガネニンジン、アサマフウロ、ワレモコウ、シラヤマギクなどが満喫できます。
秋に野の花が咲き乱れる野原を「花野(はなの)」といい、花野は散策して眺めて楽しむものです。秋の七草は、それを摘んだり食べたりするものではありません。
(2009.8.26[Wed])

マルバダケブキ(丸葉岳蕗)  キク科メタカラコウ属
 多年草で、草丈は100 〜130cm、花の直径 8cmほどで、鮮やかな黄色で夏の花というイメージです。 蝶が好きな花のようで、昨日、八島ヶ原湿原を散策していると、アサギマダラがまといついていました。草の名は葉が丸くて蕗の葉に似ていて、山岳地帯に生えているところから付いたそうです。
 ヤマフキ(山蕗)も同じキク科の多年草ですが、フキ属です。その葉を見ない限り、どう見てもフキの仲間とは思えない、まるで外来の植物のように大きく派手な花を咲かせます。最初、八島ヶ原湿原の八島池周辺で群生しているのを見て、ここも遂に外来種に侵されたかと思いましたが、立派な日本の野草だそうです。(笑)
 マルバダケブキ(Ligularia dentata)は、本州や四国の亜高山帯の深山、やや湿ったところや林縁などに生育するそうですが、美ヶ原の王ヶ頭の頂上につながる道路脇、比較的乾燥した所でも見られました。
(2009.8.25[Tue])

霧ヶ峰高原の草原
 1992年9月に公表された環境庁の第4回自然環境保全基礎調査によれば、わが国の森林は国土の約67.0%を占めていますが、自然林は約18.0%にすぎず、その森林の多くは、二次林・里山あるいは人工林です。車山高原や霧ヶ峰などの二次草原は、明治・大正時代には、国土の約11%を占めていました。しかし当時、わずか約3%まで減少していたことが分かりました。
 霧ヶ峰高原の標高約1,500以上には、日本最大規模の亜高山帯の草原が広がっています。降水量の多い日本列島では、木曾駒ケ岳のような高山や海岸風衝地に成立する自然草原を除けば、人為的干渉がなければ森林化が始まります。
多くの草原は、かつて国土の11%を二次草原が占めていました。人々の営みの中で生じる火入れや採草、放牧などにより形成された二次草原であったのです。霧ヶ峰高原の草原も、諏訪の上桑原村などの採草利用により維持されてきた二次草原でした。生活資源による採草利用が止み、草原の森林化が進むと、秋の霧ヶ峰の草原景観を維持してきたツリガネニンジン、シモツケソウ、ウメバチソウ、リンドウなどは、日照不足で消滅していきます。
(2009.8.24[Mon])

車山湿原とワレモコウ
「吾も亦(また) 紅(くれない)なりと ひそやかに」 高浜虚子
 「吾木香」は、日本の木香の意で、その根がインド原産の「木香」に似ているから呼ばれました。それは菊科の根のことで、強い芳香があり、地楡(ちゆ)という生薬でタンニンを含み、止血剤として用いられています。
 暗紅色の可憐な花をつけますが、この花はなに色だろうか?その時々に茶色、こげ茶、紫などに見えます。初夏に茎を出して高さ1mほどになり、上部は枝を出してそれぞれの先端に穂状の花序を形成します。花期は8月〜9月。花弁はなく、萼片は4枚で、それが暗紅色の花に見えるのです。
 花弁のある花は短期間に色あせますが、ワレモコウのように花弁がなく、萼が花の彩りと見えて、長くその色が残るのです。ワレモコウが秋遅くまで咲いているのではなく、実際には花は終わっており、萼のために花序があると錯覚するのです。
 現在の車山湿原では、シラヤマギク、クサレダマ、ベニバナシモツケ、ワレモコウ、チダケサシなどが咲いています。ことに、ベニバナシモツケソウは、一帯に群生して赤く染め上げるほどにみごとです。
2009.8.23[Sun]

現在の車山高原の松虫草
 8〜9月に咲き、乾いた草原に生える越年草です。花径5cm大で花弁に特徴があります。菊同様、小さな花がたくさん集まったもので、周りの花びらが特に大きい。高原の日当たりの良い草地に生え、初秋の高原で出会う花で、一段と美しいピンクががった藤色が、爽やに目立ちます。
 草丈30cm〜80cm程度で、花の痕は海坊主のような形になります。それが、仏具の伏鉦(ふせがね:俗称「松虫鉦」)似ているところから呼ばれるようになりました。また虫の音にも 由来し、チンチロリンとかわいい声で、松虫(平安時代の旧名は鈴虫)が秋に鳴く頃に咲くからとの説もあります。
 車山山頂から夫婦岩まで下ります。 近世まで続いた祭祀遺跡があります。 おそらく猟師がその犠牲となった鳥獣の霊を、車山を遡って天空に飛翔させようとして祈ったのでしょう。ここが霧ケ峰高原の最重要な岐路、車山乗越です。左の道は、車山湿原から車山肩に向かいます。松虫草の群生地です。8月中旬頃から咲き始めます。夏場は、途中の薄紅色のシモツケソウが有名です。
 右の道は沢渡から八島湿原に至ります。男女倉山の西側の山裾は男女倉道で、中山道和田宿へ抜け、近代まで重要な山道でした。和田峠越えは、急峻ですから、山浦の人々や上諏訪町周辺の商人も、ここを越え上田、松代へ出たようです。
 車山乗越から殿城分岐から北は、殿城山、標高1,800mの円錐形の小さな山頂へ出ます。紅葉の季節は、特にお勧めです。紅葉の最盛期は10月中旬頃でしょう。ダケカンバの黄葉とヤマブドウやナナカマドの紅葉が美しいです。特に、この辺には、殆ど人が立ち入らない穴場ですから、ノビタキも側まで来て囀ってくれます。
2009.8.22[Sat]

長寿更科  本格手打ち蕎麦
 本格手打ち蕎麦、信州手打ちそば店が、長野県茅野市米沢にあります。その名が「長寿更科」です。諏訪インターから、車山、蓼科、白樺湖方面に向うビーナスライン沿い左手、塩沢入口にあります。諏訪インターから車で約30分です。道路際に大きな看板がありますのですぐに分かると思います。
 私どもは、塩沢の温泉「塩壷の湯」へ、行き帰りに時々この長寿更科さんに寄っておそばを頂いております。家内といつもおいしいお蕎麦と喜んでいます。特に10割の「ざる蕎麦」が好物です。私は大盛りで、妻は普通盛りです。横浜に住んでいる娘が来ると、「天ぷらの盛り合わせ」を追加します。この店で栽培をしている野菜を揚げています。もちろん海老が2本も付いています。娘の好物です。
 営業時間
 午前11時〜午後2時30分、午後5時〜午後8時までです。

 夏季・冬季・土・日は
 午前11時〜午後8時まで、定休日:火曜日
  電話 0266-73-6606
 「長寿更科」から、車山高原まで:25分、蓼科湖まで:10分、白樺湖まで:15分、麦草峠:40分(車利用の所要時間)ですから、立ち寄って食べるに都合がよいです。
(2009.8.21[Fri])

車山の断層
霧ヶ峰高原は、霧ヶ峰火山群の最末期に噴出してできた車山を主峰としています。霧ヶ峰火山群は北西から南東方向に連なる諸峰から構成され、車山は三峰山、鷲ヶ峰に次いで形成されました。東が白樺湖・大門峠、北から西にかけて殿城山・蝶々深山・男女倉山・大笹峰・鷲ヶ峰、南は西から東にかけては野田原・北大塩峠、朝倉山に及び、標高1,000m〜1,900mで南に緩傾斜の広大な高原となっています。
車山の北側の山彦尾根は急陵な斜面がつづいて、断層崖と見られています。また車山山頂周辺の多くの谷の植物に覆われた岩塊群は、最終氷期の周氷河作用による面的削剥が行われたとみられています。約7万年前からの最終氷期の後半、約3万年前から1万年前の最寒冷期には、日本列島では年平均気温の等温線は、現在よりも約1,500m低下したといわれています。まさに最終氷期の車山の大地は凍土でした。水は氷になると体積が増えるので、岩石中に含まれる水分は凍ると岩を砕き砂礫化させ、土中の氷は、砂礫が持ち上げ、氷が溶けるときに移動させます。この水分の凍結融解作用によっておこる諸現象を「周氷河現象」というそうです。
 また踊場湿原の地下には断層が走っており、この断層は車山の南側を通って白樺湖方面に伸びています。車山から白樺湖にかけて、断層上で大量の地下水の汲み上げが始まって久しい、蛙原や踊場湿原の枯渇を招いた原因でしょうか?
2009.8.1[Sat]

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